陶芸の街 濱田庄司が愛した益子町【その2】
こんにちは。
ceramicsstarです。
益子町の続きです。
益子町には『濱田庄司記念益子参考館』『旧濱田邸』があります。
『旧濱田邸』は濱田庄司が暮らした家です。
『濱田庄司記念益子参考館』は自身の作陶の場や登り窯を公開したり、自らの作陶の資料として収集した品々を公開した施設です。
濱田庄司記念益子記念館
濱田の収集品は『日本民藝運動』にもみられる『生活に役立つ』ことを着眼点に、世界各国に出向いて、長い時間をかけて自らの眼で選び抜いたものです。
当時作陶していた工房には雑然とお宝が並んでいます。
当時使っていた登り窯の前に立つと時間が止まったような感覚に。
作業場には轆轤(ろくろ)が何台も置いてあります。
もちろん電動ではないですよ。
加茂田章二と益子町
『旧濱田邸』『益子陶芸美術館』を訪れた後で、益子町の『民芸店ましこ』を訪れました。
この『民芸店ましこ』店主の方に、益子焼や陶器の話を伺う機会がありました。
お話の途中で、加茂田章二の大皿がありますが見ますかと訊ねられ、作品を見せていただくことに。
mingeitenmashiko.jimdofree.com
加茂田章二は大阪府岸和田市の出身。京都市美術学校の工芸科陶磁器専攻しました。
大学卒業後、日立製作所傘下の『大甕陶苑』に入社。
『大甕陶苑』の研修生時代に益子を訪れます。
益子の場所に憧れた賀茂田は『大甕陶苑』を退社して、益子町の『塚本製陶所』と研究生となり、その後独立します。
そして、益子にて作陶を始めました。
その後は岩手県の遠野に弟子とともに転居し、独自だけれど自由な作品をづくりを謳歌します。
最期は東京の久留米市に移り、49歳という若さで亡くなりました。
加茂田章二の作品の特徴
加茂田の益子での作品の特徴は穴窯による灰釉によるもの。
自然な薪の灰が溶け、釉薬が掛る灰釉の作品は注目を浴びます。
この角皿の釉薬は自然釉によるもの。
穴窯ならではの釉薬の表情や独特のくすんだ緑色で焼きムラがあります。
この皿の表面の質感は素晴らしい。
加茂田章二の灰釉技法による角皿(民芸店ましこの所蔵品)
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それではまた。
ceramicssstarでした。