【日常】こころの故郷のこと
こんにちは。
ceramicsstarです。
夏の夜 虫の声を聞くと思い出すのが愛知県の実家のこと。昔は田んぼと畑があるのどかな場所も、今は宅地造成で区画も整理され住宅街になっていて様相が随分変わってきています。小学生だったあの頃 当時の風景は手に取るように覚えています。そんな記憶をこころに留めて置こうと思いました。
幼い頃の季節行事
小学生の頃に暮らした家は横に長い平屋の一軒家でした。家の南側には雨が降っても大丈夫に水色の透明の波打つグラスファイバーの屋根が付いた地面より一段高いコンクリートのテラスがあった。その左横には砂場とコンクリートのU字溝が置いてありBBQのようなことをして外で御飯を食べた。テラスの前には小さな芝生と低木の植栽が植えてあった。父親が鉄棒を作って従兄弟たちと逆上がりなどして遊んだ。その芝生に春と夏の季節ごとに大きな竹を立てかけ、七夕には願い事をしたり、端午の節句には鯉のぼりをうねるように青空を泳ぐ姿を不思議そうに見上げていた。
左手側には井戸がありよく夏にスイカを冷やした。井戸の水はとても冷たく除くと暗闇にほのかに光が反射してゆらゆらと揺れてとても怖かった。当時は鶏なんかも二羽買っていて卵は産んだ卵が食卓に並んだ。そのゲージにいる鶏の下から卵を取るのがくちばしが怖くて今での小鳥も苦手なほどトラウマになってしまった。ある日を境に鶏はいなくなったが、ゲージに白い羽が散らばっていてどうもイタチにやられたらしい。
秋の中秋の名月には裏山から『萩の花』西の空き地から『ススキ』を取って飾った。お団子や里芋なんかもお供えして楽しんだ。父親に教わり七輪でサンマも良く焼きました。
自然で感じる春夏秋冬
■春
生命が息吹を感じる季節。家の前には小さな川があり、ザリガニ、錦鯉、カエルが住んでいて簡単にとることが出来た。
桜の花びらが浮かんで流されていくのを水面に顔を近づけてみていた。川の横には線路があり電車が走る音が聞こえていたのが春の思い出。
あと庭に巣をつくったカマキリの卵からかえる大量の幼虫やカエルの卵がとても気味が悪かったのをよく覚えている。
■夏
家の裏手には田んぼがあり亀やカエルなどもたくさんいた。どれだけの数のカエルがいるのか鳴き声がすさまじかった。お風呂に入っている時よく聞いた。
夜は今ほど寝苦しくなく寝る頃には夜風がとても気持ちよかった。蚊取り線香の匂いと薄暗い蚊帳越しに月の光が見えた。家の明かりに呼びよされて虫も良く飛んできた。網戸越しに張り付いて蠢いているの姿を記憶している。
日中は虫取りに明け暮れていたなあ。雑木林が沢山あり朝早く出掛けるとクヌギの木に密が溢れたところにクワガタ、カブトムシ、カミキリムシ、コガネムシがびっしりと集まっていた。
■秋
隣の空き地一面のコスモスとススキが揺らいでいるのが小さな子どもにとっては圧巻の風景だった。
近くの山あいに天理教の支部があり、夕方になると夕陽の向こうに雅楽の音がよく聞こえた。太鼓と打楽器のような不思議な音楽だったなあ。
夜は鈴虫、松虫、コオロギなどが大合唱であとはなにも聞こえない。紅葉も直ぐ近くの裏山に行けば、身近に愛でることも出来るような環境だった。
■冬
家の裏手の田んぼには水は無くなり、山のふもとまで見渡すことが出来た。ある冬の朝に雄の雉(きじ)が羽ばたいているのを見た。こんなところまで来ているんだ。赤、緑、青、茶色の混ざった雉はとても綺麗で羽ばたくととても大きかった。
初めて聞いて鳴き声も”ケーンケーン”って確かに鳴いてました。後は一面の霜柱を長靴でザクザクと歩いた感触を覚えている。
今はなにもない故郷
時の流れは残酷で今はなにひとつそのような過去の形跡は無くなってしまいました。
よく考えると四季を感じることのできるとても自然豊かな風景が身近にありました。
今はそれを感じたり手に入れるためには遠出をしなくてはならないのが現実です。
出掛けた家の近くには小さな畑もあり、トマト、キュウリ、ナス、トウモロコシは父や母が育てたものをよく食べていた。
しかしながらわたしには何故かその遺伝子は引き継がれなかった。敢えて四季の季節の行事を楽しむのに労力は掛けないし、今まで植物もろくに育てられなかった。
産直の野菜を注文したり、道の駅で買い物するなどしかできない。
自分の幼い頃の故郷の四季や出来事は遠い記憶にだけ留めておこう
ceramicsstarでした。
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