陶芸の街 濱田庄司が愛した益子町【その1】
こんにちは。
ceramicsstarです。
以前、栃木県芳賀群益子町を訪れました。
今回はそのときのことを。
益子町と濱田庄司
益子は関東では有数の陶芸の街で、GWには毎年『益子 陶器市』で賑わいます。
でも今年は開催されず、インターネット上で陶器市が開催されたものの、やや盛り上がりに欠けたようです。
また何度も訪れたい魅力のある土地です。
今でこそ益子町は陶芸の街として全国的に有名ですが、昔は今のような場所ではありませんでした。
現在、陶芸家や作家が暮らす場所として街の知名度を上げることに貢献したのは陶芸家、濱田庄司の存在が大きく影響しています。
濱田は神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)の出身で、京都市立陶芸試験場で河合寛次郎とともに釉薬の研究につとめました。
イギリスの陶芸家、バーナード・リーチとの親交もあり、イギリスのセント・アイヴスで筑窯しました。日本に帰国後は沖縄で暮らしたり、柳宗悦の『日本民藝運動』にも積極的に参加し、全国各地の窯場を訪れました。
濱田庄司の作品の特徴
濱田の作品の特徴は、手轆轤にある成形と釉薬を柄杓で上から下に向かって大胆に掛ける『流し掛け』の技法です。この技法と益子ならではの釉薬や土を融合させて、芸術の域まで高めました。
釉薬は青釉(緑色不透明軸)や柿釉(茶褐色不透明軸)=益子町葦沼から産出する「赤粉(あかこ)」を単身で薄く掛けて酸化焼成,鉄分の多い茶褐色の釉(柿釉)などが特徴のひとつです。
濱田庄司の各種技法による作品 (濱田庄司記念益子参考館の所蔵品)
濱田庄司の流し掛けの技法による大皿 (濱田庄司記念益子参考館の所蔵品)
濱田庄司の暮らした家
濱田が益子焼の地、益子町に住み始めたのは1930年(昭和5年)からです。
往時の家屋は残されていて日本家屋にテーブルと椅子といったモダンな暮らしも一部取り入れていたようです。
次回に続きます。
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