【版画】詩情豊かな銅版画 南桂子の世界
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ceramicsstarです。
銅版画家南桂子、詩情豊かでどこか孤独感を感じる影のある南の銅版画。こころの闇のような人の心に刺さる作品をいくつか残しています。それは人をどこか危うい世界へと導いていきます。
『林と少女』1985年
1911年2月12日富山県射水郡出身の版画家(銅版画)。夫は版画家の浜口陽三。本名は濱口 桂子(はまぐち けいこ)少女や鳥や樹木を題材とした詩的な作品で知られる戦後日本を代表する銅版画家 。心筋梗塞で2004年12月1日93歳亡くなっています。
『戦後の童話に寄せて』
富山県の高岡にて最初の結婚で4人の子供を儲けました。
そして戦後の1945年(昭和20年)、34歳の時には子どもたちを残して離婚。東京に上京しました。非常に大きな決心で絵を描きたいという気持ちを持って大きなこころの傷を負ってまでの決断だったと思います。佐多稲子の紹介で作家の壺井栄に童話を、洋画家の森芳雄に油絵を学びました。現在、南の童話を収録した本が出版されています。壺井栄に師事して童話を書き、新聞に掲載発表されたりしておりました。2011年に大量の原稿が見つかり文学活動を精力的に行っていたようです。童話が52篇、詩が3篇溢れ出る空想力とその優しい視点が現れています。
『海外の旅の記憶』
森芳雄のアトリエで後に夫となる版画家の浜口陽三と出会いました。1954年にフランス・パリに渡ると、フランスでは浜口と暮らしました。この頃の浜口との出会いが今後の人生に大きな影響を与えます。40歳を過ぎてから銅版画の世界に入り、ジョニー・フリードランデル(英語版)版画研究所でアクアチントを学びました。
1953年冬。銅版画を学ぶためにフランスに渡る船の中で書いた詩があります。
『さあ、私たちは又長い長い船の旅につきます』「船の旅」第二章より抜粋。
台湾、香港、シンガポールと寄港しながら旅の様子をスケッチ、メモ、そして記憶し、その後は銅版画のモチーフとして海、城、港などを選んで作品にしています。
■2012年に開かれた展覧会のリーフレットより
2012年5月12日(土)~7月31日(火)
『さみしげな少女の姿』
詩情豊かで一見するとメルヘンチックな画風にも見えますが南の銅版画には自身の『こころの闇』が映し出されています。南の銅版画に出てくる少女たち。一点を凝視した切れ長の目は無表情。なにか得体のしれない怖さと孤独感、寂寥感、悲しさがすべての銅版画に現れています。三角の胴体に木々の枝のような手。なのにしっかりと大地に脚を付けて立っている。これは南本人の姿なのではないでしょうか。幼い頃に両親を亡くし『精神的な孤児』だったと自分で語ったとも言います。また自分の産んだ子どもを残して自分の道を選択したことは、『自ら子どもを高岡に残して捨てるようなかたちで画業に身を投じた』と言う負い目や悲しさは計り知れないものかもしれません。生涯を通して交流のあった、小川イチと生前散歩をして子どもの鳴き声が聞こえるとふと立ち止まってしまうようなことも言っていたようです。しかし自分の選んだ道だから大地はしっかりと踏みしめている。南の銅版画には下記の本の表紙に見られるように鳥、犬、羊など動物が登場しますが、南本人の分身とも言える悲しみに佇む少女を癒すように心の扉を叩いて語りかけているようです。
『線と色のハーモニー』
南の作風で線と点の集合でかたちを作り上げ、線の濃淡で背景を描き、人物、木、動物など実体のあるものの奥行きは線の深さで表現する。絵のレイアウトは非常にシンプルです。銅版画の実物を凝視すると線の表情、点のかたちなど多くの線と点の表現のバリエーションが豊かです。そして銅板に線を入れる時の集中度合いは職人技ともいえる緻密さに驚かされます。モノと背景の彫の多さと彫り込み度合いは凄い。
■2020年に開かれた展覧会のリーフレットより
2020年3月14日(日)~7月26日(日)
静謐で深い情感を帯びた『南桂子』の銅版画。 心の内面になにかを抱えている静かな佇まいを感じる作品。水天宮前駅の『ミュゼ浜口陽三ヤマサコレクション』には多くの作品が所蔵されています。6月4日から延長された展覧会は本日7月26日までです。
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