【建築】事実が判明した村野藤吾の『日生劇場』の秘密
こんにちは。
ceramicsstarです。
昭和の歴史的な価値のある建築物『日生劇場』と建築家『村野藤吾』の設計について書いたのですが新事実が昨日の『新美の巨人たち』で判明。
何故事実についてわからなかっただろう。
■日生劇場の全景
『日生劇場』の劇場天井に使用した素材は?
『日本生命日比谷ビル・日生劇場』は建築家村野藤吾(1891-1984、日本芸術院会員、文化勲章受賞者)の設計により1963年9月竣工(設計:村野・森建築事務所、施工:大林組)。鉄骨鉄筋コンクリート造8階建、地下5階。オフィス部分と日生劇場から構成される複合ビルです。
この建築物に使用した素材に間違いがありました。
新事実です。
■淡紅色の万成石による重厚な外装これは正しい。。
低層部の柱まわりと上層の開口部の2本の柱との連続性に配慮はしています。
■見上げると開口部を支える柱まわりにも軒天周りの連続性がある。
■開口部のバルコニーの黒の紋様の手摺枠の金物。どこなんだ間違いは。。
壁面のバルコニーのようにへこんだオリエント風の窓がある
■ピロティ
ル・コルビジェが初めて住宅設計に使用した柱の2階部分を支える1階の建築空間。
弟子の坂倉順三や前川國男も公共建築に使用したスタイルを初めて民間の建物に採用しました。
劇場ロビーへ至る入口床には長谷川路可氏による大理石モザイクが続きます。劇場の一階は素通しガラスで囲まれ、玄関ホール(ピロティ)ではギリシア的な柱、白大理石の床となっています。
■床の大理石のモザイクは植物が描かれている。
■詳細の仕上げやディテールに拘ったハンドル、内部にもさまざまな仕掛けが
見えない部分までの気を遣う村野建築。
正解はこの劇場内の天井に埋め込まれた素材。
劇場内は壁天井全て曲面で施工されて、天井には色の付いた石膏に20,000枚のアコヤ貝じゃなく『マド貝』を張ったらしい。
村野藤吾はアコヤ貝を使用したと言っていたにもかかわらず実際はマド貝を使用しています。番組でも放送していた光を反射する材料として優れていたのか、調達が出来なかったのか理由は定かでないようです。
昔ガラスが無い時代にはマド貝の透過性を利用して窓ガラスの代りの窓にはめられていたから『マド貝』と言われ建築材料として使用していたそうですね。
下記の番組に詳細は語られています。
■『日生劇場公式サイト』
村野藤吾の建築
他の劇場には決して類をみない魅惑的な曲線による幻想的な雰囲気を持つ日生劇場。関西中心の現場で活躍してましたが、彼も東京へ進出。『日生劇場』への劇場空間に繋がると言われる『有楽町読売ホール』の入ったビル。現在もビルは使用されていますが『有楽町ビックカメラ店』ですね。当時は日本建築界の関東のエース『丹下健三』の昔の東京都庁と比較されて大きく批判受けました。それを覆すために細部の見えない部分にも配慮した村野の『日生劇場』は歴史に名を残す『劇場建築』です。
日生劇場の舞台から客席を見た景色
— 新美の巨人たち (@binokyojintachi) September 26, 2020
包み込まれるような気持ち☺️☺️☺️#新美の巨人たち#日生劇場だいすきな皆さんにお届けします pic.twitter.com/u2nktk6Hx1
村野藤吾「日生劇場」
— 新美の巨人たち (@binokyojintachi) September 26, 2020
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