【舞台】『身毒丸』ファイナル 世界の蜷川幸雄の演出
こんにちは。
ceramicsstarです。
天井桟敷の公演の為の寺山修司作の舞台作品を蜷川の舞台の台本でお馴染の岸田理生の改定台本の作品です。わたしは2002年の公演を名古屋に暮らしているときに愛知厚生年金会館での演目です。
『身毒丸 ファイナル』
■開催場所:愛知厚生年金会館
■会期2002年2月20日(水)~2月24日(日)
不思議な世界観『身毒丸』
『東京』という名の町。 身毒丸は、幼い頃に死んだ母を恋しく思い続けている。彼の父は母を売る店で新しい母を買うことにする。 その店にはかつて旅芸人をしていた撫子という女がいた。 身毒丸と撫子の目が合った瞬間、父が彼女を母に選びました。ここから始まる愛憎劇です 。
冒頭では舞台の暗闇の上層部からグラインダーの摩擦で火花を散らせて音と光の演出。そこには不気味な様相の人々が何人か登場してきます。狐の面を被った花嫁衣裳を着た女、大きな能面を被った顔の大きい男、屋台でいくつもの仮面を売る行商人。この衝撃的でエンターテイメント性の高い演出にまずノックアウトされます。元々少年の不可思議な不安定さなどの作品の多い寺山修二の作品に天井桟敷に所属していた岸田理生の改定台本と蜷川のオリジナルの感性豊かな演出。不思議と当時を思い出しまた引き込まれました。
舞台芸術の素晴らしさと音楽
蜷川の舞台美術に共通しているのは『ドラマチックな意外性』今回舞台の更に数年前に『日生劇場』で観た『唐版 滝の白糸』という舞台もそうでしたが、蜷川の舞台美術の職人的な技術や意表を突く小道具やセット、そして手仕事による独特の衣装などが作品の雰囲気を盛り上げオリジナリティ豊かな表現手法に花を添えています。組み立て式の家は『買われた母親』があっという間に家族と言うかたちに当てはまり「家」という容れ物ができて、 その中に家族として入り込み、父の考える理想の「家」が出来上がる。そして今回積極的に使った『藤圭子の歌』。情念溢れる彼女の声は継母との愛憎劇にはぴったりでした。美しくも妖しい世界観が感じられます。
『藤原竜也』と『白石加代子』
『30年に一度の天才』と蜷川がかつて語った『藤原竜也』。この舞台の人物設定は18歳。年齢的にもこの役が行わえるのは最後の舞台。共演は鬼気迫る芝居で見るものを圧倒する快優『白石加代子』。この継母と息子のリアリティそして葛藤。邪恋に身を置く芝居の追求度合いは素晴らしいです。『白石加代子』の演技は怖くやや不気味ではありますが圧倒的な存在感と人を引き込む迫力があります。『藤原竜也』は少年から青年に変わり、亡き母への思いや苦しみ、そして寂しさと怒りを表現するエキセントリックな演技は感情を揺さぶります。不安定で複雑な心境を持ち続ける葛藤が伝わってきます。最後には家族が崩壊し、『家』という世界から解放されて地獄と言う『天国』へ導かれて、その道の続く舞台後方へ歩いていくところで幕が引かれます。
『演劇のすばらしさ』
舞台の素晴らしさは観客との共有する場の臨場感。総合芸術と言われアーティステックなエンターテインメント性や空気感まで作品にそれを持たせてその世界に引き込みます。特に『家』と言う形式やかたちが即席で出来上がり、他人同士が『家族』を築く姿が出来上がる不可思議な世界を実際に眼にすることの驚きです。
ceramicsstarでした。
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