ceramicsstarブログ

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父親のことについて

 こんにちは。
ceramicsstarです。

 

6月21日は父の日。ふと父親のことを書いてみたくなった。生前の父のことを思い出してみる。幼い頃は父親の存在がとても怖くて、子ども心にずいぶんと理不尽なことで怒り出す人だと嫌っておりました。はっきり言って近づきたくない存在。幸いにも鉄道関連の職業柄、家に居るのは1週間の内2~3回ほどで2日いて2日~3日泊りで仕事に出掛けると言う勤務シフトでした。年齢を重ねるごとに自分の父の見方に変化が出てきています。自分にとって父親はどのような存在だったのか書いてみました。

 

 

 

 

■父親とはどんな人だったか【父との関係について

 

幼少期から小学生まで

幼少期はあまり父親の記憶が無い。記憶にあるのは身の回りのことだけ。粘土遊びで大きな象を作って楽しかった記憶や幼稚園に行くのが嫌でスクールバスの入り口のステップの手摺にしがみついて泣き叫んで母親を困らせたこと。そこには父は不在で記憶に一切出てこない。動物園に家族で行った写真もあるが、妹がはぐれて迷子になり泣いていたことしか覚えていない。父は怖い存在で排除していたのかもしれない。小学生になって覚えているのは怖いながらも一緒に旅行をしたこと。二人で初めて旅行したのは暑い夏。『大阪万国博覧会』にこれも初めて乗った新幹線で旅行した。思えば別府、萩、岡山、小豆島など西日本各地に連れて行ってもらって旅の楽しさを知ったのはこの頃。一度は父親の勤務先の夜行列車『ツバメ号』の寝台車に乗って家族旅行をした。この時の父は仕事中でもあったので、自分の職場を子供を見せて、父がどんな仕事で何をして、ここで何を感じたのかをわたしに知って貰いたかったのでは思う。これは社会見学も兼ねての『家族旅行』。若い父なりの考えがあったのだろう。

 

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中学生から高校生まで

思春期からは反抗期を迎えあまり口も聞かず顔を見るのも避けていました。たまに殴られたりしたというのも椅子で殴ると言う今じゃDVで訴えられるようなこともあった。とは言え当時の中学時代は教師の暴力もよくあって、授業中に木工用の砥粉を友人に投げつけふざけて遊んでいたところを胸倉つかまれて殴られた記憶もある。いま思えば悪いことをすれば鉄拳がくだる。それで反省すると言う根拠のない日常がそこにはあった。殴られる側もすべて理由があり親や教師を逆恨みするようなこともなかった。父は不器用で理路整然と話すこともできなかった。子どもの教育として感情をあらわに怒ったり殴ることでしかうまく伝えられなかったのではと好意的に解釈している。高校時代は友人との関係が強くなり友人の家で音楽を楽しんだり女の子のことで頭がいっぱいで父のことなど気にも留めていなかった。そんな中でも父は毎日働いて生活のお金を稼いでいたのだ思う。

 

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浪人時代から大学生まで

高校は卒業したものの美大には入れず、すさんだ気持ちでデッサンに明け暮れる日々。美大のための予備校の授業料は必要最小限。あとは浪人の身で食わせてもらっているので授業料を稼ぐためにアルバイトもした。友人の兄友達のバイト先の音楽事務所にてコンサートの機材搬入搬出や会場のスタッフサポートなどしながら。母親から就職後に聞いたのだが、当時親戚から父は『見込みがないなら就職させろ』と言われていたらしい。そのことは生前一度も口にせず聞いたことはない。一切言わなかったのだ。大学に合格した時は『よくやった』と大きな声で喜んでくれた。

 

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社会人となって父を看取るまで

人生働くようになってわかることがいくつかある。それは社会に出て父親の 存在や在り方について。就職して家を出てひとりで暮らすと親のありがたさがわかるのは本当だ。奨学金の返済で振り込みをするとき、食事の準備や掃除洗濯などしているときだ。働くということはお金を稼ぐことと同時に扶養している家族がお金を消費することだと思った。帰省した時に父とよく近くの”とんかつ屋”に二人で自転車に乗って出掛けたことを思い出す。夜晩酌で飲むときも仕事の大変さや人間関係のことを話すことも多くなり、あれ程嫌っていたのに不思議だった。決してすべてではない、少しだけ父の気持ちが理解できたかもしれない。結婚して別の家庭を持つことでまた異なる立場で付き合うことができたのはよかった。親子べったりの関係ではお互いにとって不幸だったと今でも思っている。そんな父が肺癌で余命1年少しと医者から宣告されたときは辛かった。帰り道に『手術や抗がん剤治療はしたくない』と本人から聞かされた。それにうまく返すことができず言葉がみつからなかったのをよく覚えている。それから亡くなるまでは辛い治療をすることなく母と残りの人生を平和に過ごし、たまに帰省した時はできるだけいつもとかわらない状態で接して、2017年1月1日 世の中が新年を迎える中、父は息を引き取った。

 

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人の人生ははかない。そして大切な時間も短い。父は病気と向き合い泣き言ひとつわたしには言わずとても潔く死を迎えた人だった。

死ぬ数日前に保険金のことを正確に告げたり、クリスマス前に親戚を病院に呼んだりして死期をしっかり自覚していたのでは思う。

 

亡くなって3年半経ってあらためて感謝の気持ちで父を想った。

 

 


父親の科学―見直される男親の子育て

 

 


プロ教師 向山洋一の ザ・父親学 (TOSS KIDS SCHOOL 家庭教育シリーズ3)

 ceramicsstarでした。

 

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