【陶芸】奔放なスタイルの追求『河井寛次郎』
こんにちは。
ceramicsstarです。
日本民藝運動に携わった濱田庄司と行動をともにした陶芸作家『河井寛次郎』。陶芸以外にも彫刻、デザイン、書、詩、随筆などの分野でも数々の作品を残しています。今回は奔放なスタイルで陶芸界に新風を巻き起こした『河井寛次郎』のことを書きます。
寛次郎は窯場に弟子入りはせずに師と仰ぐ者はいません。師弟関係を重んじる陶工の世界において、『東京工業学校』という教育機関で指導を受けた当時としては新しい世代の陶芸家です。学校では陶芸家の板谷波山が教鞭を取り指導を受けていたそうです。また窯業を科学的に分析して後輩である濱田庄司とともに『京都市陶磁器試験場』で釉薬の研究など行っていました。その後京都五条にて『鐘渓窯』にて作陶をはじめました。
**写真はミュージアムの撮影許可が出ているものを掲載
『没後50年 河井寛次郎展 -過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今-』より
https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/18/180707/index.html
日用の美の追求『日本民藝運動』:昭和戦前期
寛次郎は中国・朝鮮の陶磁の名作の科学的研究の成果を超絶技巧の華やかな作品で陶芸界に華やかなデビューを飾りましたが、しばらくすると自分の作品に疑問をもちはじめて制作を中断します。その後、柳宗悦、濱田庄司らとともに『日本民藝運動』に加わり、全国各地の日用品、日常で使う器などの美に着目し、それを世に広める活動に注力します。日本はもちろんのことイギリスのスリップウェアの器からの影響など受けて実用品の造形に釉薬技術を生かし、美しい発色の器を発表して陶芸界に返り咲きました。
■今見ても新鮮な形の箸置き。六角形に上面が箸を乗せる曲面仕上げに。
■煙草入れと灰皿
■民芸品の影響を受けていると思われる絵付け表現
■イギリスのスリップウェアの影響を受けたと思わせる花器
自由奔放な造形へ『河井寛次郎スタイル』:戦後から
陶の造形も日用の器から奔放な造形へと変化を遂げていきました。絵付けは豪快な刷毛の筆致、成形は不可思議で土俗的な造形の世界。この頃から陶芸以外に木彫、キセルなど金属の作品などにも創作の幅を広げていきました。これが独自の『河井寛次郎スタイル』ではと感じます。
下記の花器やオブジェなどは様々な手法で取り組んでいます。
原始のパワー溢れる土俗的な『木彫』
呪術に使うような土着的な意匠。造形の持つエネルギーを全開にしたかたち。ユニーク且つ力溢れる木彫をいくつか残している寛次郎。芸術の域に達した現代彫刻にも自己の表現の幅を広げる活動に入ります。陶芸家の領域には収まらないその自由な発想が『河井寛次郎』の魅力でもあります。
■河井寛次郎記念館の所蔵品
最後にこころに残る言葉で河井寛次郎の『仕事のうた』と言うのがあります。
仕事が仕事をしてゐます
仕事は毎日元気です
出来ない事のない仕事
どんな事でも仕事はします
いやな事でも進んでします
進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す
知らない事のない仕事
きけば何でも教へます
たのめば何でもはたします
仕事の一番すきなのは
くるしむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ
さあさ吾等はたのしみましょう
ceramicsstarでした。
■陶芸の写真は掲載されていない彼が文章を残した本です。
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